今から40年前の1983年3月19日は「宇宙戦艦ヤマト完結編」の公開日でした。「宇宙戦艦ヤマト完結編」は当初1982年の夏に公開予定だったものが1983年3月12日に延期され、更に1週間後の3月19日に延期されたものの、作品の全ての完成が18日昼となってしまったため、上映プリントの配送が間に合わず19日朝からの全国一斉ロードショーが出来なかったのは有名なエピソードです。
1983年3月は「宇宙戦艦ヤマト完結編」の他にも「幻魔大戦」「クラッシャージョウ」の大作アニメが同時期に上映され、春のアニメ戦争と言われました。
1983年は1977年の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の公開から78年「さらば宇宙戦艦ヤマト」79年劇場版「銀河鉄道999」と立て続けに大ヒットしたことにより松本零士ブームが絶頂期を迎えた後、80年「ヤマトよ永遠に」81年夏に「さよなら銀河鉄道999」公開されますが、「松本零士ブーム」は81年春、劇場版「機動戦士ガンダム」81年夏「機動戦士ガンダム・哀戦士」82年春「機動戦士ガンダム・めぐりあい宇宙」の公開、大ヒットによって、アニメブームは「ガンダムブーム」を中心にリアル・ロボットアニメ作品が人気になっていた時期でした。
そのような「ガンダム人気」の時期に「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」を劇場リバイバル公開して、対抗心を燃やす西崎義展氏が満を持して完成させた作品が「宇宙戦艦ヤマト完結編」だったのです。
この記事では「宇宙戦艦ヤマト完結編」の制作過程、広告宣伝、イベント、当時の新聞、前売り券など膨大な資料を掲載した同人誌「英雄の軌跡 ヤマトランド資料室 宇宙戦艦ヤマト完結編」を紹介したいと思います。
↑復刊ドットコムでは在庫僅かですが、まだ購入可能のようです。
「英雄の軌跡 ヤマトランド資料室 宇宙戦艦ヤマト完結編」は2018年12月にヤマトランド資料室より同人誌として発行されました。編集後記には『本書はヤマトランド資料室内で保管している「宇宙戦艦ヤマト・完結編」の資料において、どんな資料を保管しているのかを個人的に把握し、どんな協力が可能かまとめる事を目的とし、尚且つヤマトファンの参考書として見られるようにしたものです。』記載されています。
全96頁が資料をスキャンしたそのままのカラーで紹介されており、当時の製作陣の様子や上映に向けた熱気がひしひしと感じられます。資料の中には多くの資料を1ページに掲載していることもあり、紙面の大きさの文字では自分のような老眼には少々判読が困難なケースが多々あり、紙面をスマホで撮影し、画面上で拡大して判読するという労力が必要な場合もあります。
西崎義展氏や豊田有恒氏など主要スタッフによるブレーンストーミングでは「ガンダム状況をふりかえる」としてガンダムについても論議されている貴重な資料も掲載されています。
絵コンテ掲載ページでは、各パートの表紙でアクエリアス女王「ヤマト(スタッフ)のみなさん、私はリテークの女王、リテーク・オブ・アクエリアス」、島「サラバ ヤマト モウスコシデ オワリダ コンテガ」等とスタッフのお遊びも確認出来ます。
劇場公開が間近になると、毎週金曜日の新聞夕刊紙には劇場案内が掲載されていましたが、全国各地の新聞の「宇宙戦艦ヤマト完結編」の劇場案内も掲載されています。
公開時の劇場の様子の写真も多数掲載されています。今は無き劇場も多く、文化的資料にもなるのではないでしょうか。
ヤマトランド資料室では非常に多くのセル画・動画も保管しているようで、当時大反響だったラストの古代と雪のラブシーンのセル画・動画も多数掲載されています。
1974年に開始された「宇宙戦艦ヤマト」のTV放送から1983年の「宇宙戦艦ヤマト完結編」の公開までの期間はわずか10年程の期間でした。当時は現在のようにシーズン〜というように長期のスパンでアニメが制作されていない時代ですが、「宇宙戦艦ヤマト」というコンテンツを1983年で完結させる必要性は無かったのでは?と「宇宙戦艦ヤマト完結編」公開から40年経った今、この「英雄の軌跡」を読み返して改めて思ったのでした。
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