今回の記事は「宇宙戦艦ヤマト」企画時の方々の証言が多く書かれている『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男・西崎義展の狂気』(牧村康夫・山田哲久共著)、『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(豊田有恒著)を参考にしています。
(「宇宙戦艦ヤマト」著作権問題について振り返る②からの続き)
1997年、破綻した西崎氏は12月2日、東京都渋谷区宮下公園前の路上で職務質問され、運転していた乗用車から覚醒剤50グラム、ヘロイン6グラム、大麻8グラムが発見され、覚醒剤取締法などの違反容疑で渋谷警察署に逮捕され、1998年6月に一審にて懲役2年8月の実刑判決を受けます。
判決前の1998年2月、腰痛を理由に保釈金を支払い保釈されていましたが、保釈から1年足らずの1999年2月1日、警視庁銃器対策課と静岡県警により、銃砲刀剣類所持等取締法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されてしまいます。
西崎氏が二度目の逮捕をされた1999年2月、西崎氏の破綻後、破産管財人よりヤマトの商標権を移された東北新社の許諾によりバンダイおよびバンダイビジュアルがプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』を発売し、一ヶ月程で20万本の大ヒットをセールスします。ヤマトの権利について西崎氏と争っていた東北新社、バンダイによって製作されたこのソフトでは破産した西崎氏をもちろん前面には出さず、原作・原案・基本デザインは松本零士氏という前提で商品化がされていました。
西崎氏の逮捕後、各メディアからの取材が多くなった松本零士氏もヤマトの物語も設定も全て自分が作り、著作権も自分にあるという内容のコメントを繰り返すようになります。
それに対して、勾留中の西崎氏も反撃を開始し、ヤマトの企画書は西崎氏に帰属し、この企画書こそが全ての宇宙戦艦ヤマトの源著作物であることより、ヤマトの著作権は西崎氏に帰属すると主張し、松本零士氏を激しく非難しました。
また、西崎氏は1999年8月、バンダイ、バンダイビジュアルが製作したプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト 遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償を求めて、東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルを提訴します。
一方、松本零士氏は西崎氏はメディアで主張した手記の内容を否定し、1999年、著作者人格権侵害または名誉毀損で西崎氏へ提訴、新聞等への謝罪文掲載を求めることとなります。西崎氏は「著作者人格権を確認する」として2000年、松本零士氏に反訴し、この訴訟合戦は一本化され東京地裁で審理されることとなったのでした。
(つづく)
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