手塚プロダクションとマクロス

おっさんホイホイ

マクロス放送40周年記念 超時空要塞マクロス展

2022年7月1日(金)~2022年10月24日(月)の間、宝塚市立手塚治虫記念館にて第86回企画展「マクロス放送40周年記念 超時空要塞マクロス展」が開催されています。

この展覧会では、アスラテック株式会社のロボット制御システムを用いることによって自動変形が可能となったロボット【SELF-TRANSFORMING SDF-1】の変形に合わせた映像を交えた演出や展示をはじめ、「マクロス」シリーズの設定資料やイラスト、歴代VF(可変戦闘機)の立体展示などがされています。

また、関連イベントとして、飲食コラボ「グルメマクロス」(テイクアウト用カップ欲しい!)、日替わりシールプレゼント(手塚キャラ風のマクロスキャラクターが可愛い!)、トークイベント(まだまだ、お元気な宮武氏が嬉しい!)も開催されています。

記念館ミュージアムショップでは手塚キャラ風マクロスキャラクターの缶バッジやキーホルダー等も販売されて(購入したかったマグカップは売り切れ!涙),、マクロスファンなら是非とも来場したい企画展です。

どうして手塚治虫記念館でマクロス展を開催?

さて、ここでひとつ気になることは「どうして『マクロス展』が手塚治虫記念館で開催されているのか?」ということではないでしょうか?

しかも、今回は初めてのマクロス展ではなく、前回は5年前に「超時空要塞マクロス」35周年、「マクロスF」10周年を記念して、やはり手塚治虫記念館にてMACROSS: THE ART 1982- 2018が開催されていました。

手塚キャラ風リン・ミンメイ 

一見すると何も関係の無いような「マクロス」と「手塚プロダクション」。今回のマクロス展に関する手塚治虫記念館や手塚プロダクションの案内を見てもどこにもその関係性は説明されていません。そこで、手塚プロダクションとマクロスとの間にどのような関係があるのかを調べてみました。

超時空要塞マクロスの製作スタッフ陣

マクロスと言えば、原作のスタジオぬえ、河森正治氏、美樹本晴彦氏がスタッフとして有名ですが、超時空要塞マクロスの製作スタッフ陣を確認してみました。(敬称略)

  • 企画 – 大西良昌
  • 原作 – スタジオぬえ
  • 監督 – 石黒昇
  • 原作協力 – アートランド
  • シリーズ構成 – 松崎健一
  • キャラクターデザイン – 美樹本晴彦
  • メカニックデザイン – 宮武一貴、河森正治
  • 美術監督 – 多田喜久子、勝井和子
  • 音楽 – 羽田健太郎
  • 設定監修 – 黒河影次
  • プロデューサー – 井上明、岩田弘
  • 演出助手 – 山賀博之、西森明良
  • 監修 – 河森正治
  • 作画監督補 – 垣野内成美
  • 色指定 – 由井あつ子、北川正人、吉田みちる
  • 編集 – 三木幸子、田代正美
  • 録音ディレクター – 本田保則
  • 制作担当 – 内山秀二
  • 制作協力 – アートランド
  • 製作 – 毎日放送、タツノコプロ、アニメフレンド 

元請けであったタツノコプロのクレジットはありますが、やはり、手塚プロダクションの記載はありません。

ちなみにタツノコプロはビックウエスト(企画の大西良昌氏が設立した会社)とスタジオぬえを相手取りマクロスの著作権を主張しますが、裁判にてタツノコプロに対して「映画の著作物」としての権利が認められたにすぎず、一方、別の裁判ではキャラクターデザイン、メカニックデザインはビックウエスト、スタジオぬえの共有の権利という判決が出ています。

アートランド

さて、上記の製作スタッフ陣に原作協力アートランド、製作協力アートランドとクレジットがされていることに気づきましたでしょうか?

アートランドは1978年アニメ監督・アニメーターである石黒昇氏が東京都新宿区高田馬場のマンションの一室でスタートしたアニメ製作会社です。

アートランドは「超時空要塞マクロス」ではタツノコプロからの下請けとして製作に関わり、そこには「DAICON3」で一躍注目され、大阪から上京してアートランドへ研修という名目で所属することになった庵野秀明氏と山賀博之氏もいました。(庵野氏は第27話「愛は流れる」でのデストロイド・モンスター発進シークエンスの描写、山賀氏はOP演出等が有名です。また、このマクロス製作時に庵野氏が同じく原画として参加していた貞本氏と出会い、後日、これまたアニメ史に名高い「エヴァンゲリオン」に繋がっていくのだから面白いですね)

当時、アートランドには他に板野サーカスで有名な板野一郎氏、平野俊弘氏等の若い才能あるスタッフ達が結集し、実力を発揮することになるのですが、そのスタッフ達の才能を認め、力を引き出したのがアートランドの社長だった石黒昇氏と言われています。

石黒昇氏とは

石黒昇氏は昭和13(1938)年8月24日生まれ、平成24(2012)年3月にお亡くなりになっています。

アニメーターとしては爆発などのエフェクトシーン(通称ヒトデ爆発)を得意としており、庵野秀明氏は石黒氏のエフェクトアニメーションの系譜を引き継いでいると言われています。

石黒昇氏の名前は「宇宙戦艦ヤマト」のアニメション・ディレクター、「銀河英雄伝説」のシリーズ監督として有名ですが、「宇宙戦艦ヤマト」以前はフジテレビの子会社のアニメ製作会社や大西プロに所属し、大西プロでは下請けとして「鉄腕アトム」の原画を担当していました。

石黒氏は子供時代に手塚治虫先生の「新宝島」に衝撃を受けた世代であり、漫画家を志し、貸本漫画家としてデビューをしたこともありました。また、日本大学在籍中には、手塚作品のアニメ製作会社だった虫プロを訪れ、当時放送していたアニメ「鉄腕アトム」の演出について疑問に思ったことを尋ねるなど手塚作品に強い関心はあったものの、虫プロには入社せずに、他アニメ製作会社にて手塚先生のアニメ作品に関わることとなります。

(後にあの西崎義展氏が昭和45(1970)年に虫プロ商事へ入社し、プロデューサーとして虫プロ最後のアニメ作品「ワンサくん」に関わった際、西崎氏が楽譜の読めるアニメ演出家として石黒氏を気に入り、後日「宇宙戦艦ヤマト」の製作陣に招くことになるのはまた別の話…)

余談ですが、超時空要塞マクロスのOP、ED、リン・ミンメイの作中歌の作詞担当の阿佐茜は監督石黒昇氏、脚本家松崎健一氏プロデューサー岩田弘氏の共同ペンネームです。

手塚プロダクション

今度は手塚プロダクションについて調べてみました。

手塚プロダクションは1961年アニメ製作を目的とした手塚プロダクション動画部を母体として設立された1962年株式会社会社虫プロダクションと混同されやすいですが、手塚プロダクションは1968年手塚治虫先生が漫画製作のため設立した株式会社です。

虫プロダクション(通称虫プロ)はたくさんの才能のあるアニメーター等を有し、1962年「ある街角の物語」1963年「鉄腕アトム」1965年「ジャングル大帝」など多くのアニメ作品を製作しました。また、1966年7月には社内の版権部、出版部、営業部を分離独立させる形で子会社に虫プロ商事を設立して、同時に虫プロ本体の債務を移転しました。

しかし、「巨人の星」などの劇画ブームが起こると、手塚作品の人気は低迷し始め、手塚作品以外の原作のアニメ(あしたのジョー等)を製作することになりました。そして、1971年の社員総会等や手塚先生と社員達との度重なる話し合いの結果、アニメという芸術性よりも利益追求の企業としての体制が虫プロの目指す方針であるべきだということが社員の大多数の意見となったことに失望した手塚治虫先生はそれまでの虫プロの赤字を引き受ける条件で社長を辞任しました。

新社長の元、虫プロは新たな経営方針でアニメ製作に臨みますが、当時、多くのアニメ製作会社が設立され始め、それらの会社とのテレビアニメ製作受注競争に敗れるなどし、虫プロは急速に経営を悪化させていきます。そして、ついに1973年8月に子会社虫プロ商事が倒産、同年11月に虫プロも多額の負債を抱え倒産してしまいます。

一方、虫プロとは別会社であり、虫プロとの連鎖倒産を免れた手塚プロダクションは現在も存続しており、現在、手塚治虫先生の元担当編集者であり、手塚プロダクション入社後は手塚治虫先生のマネージャーだった松谷孝征氏が代表取締役社長、そして手塚先生のお子様達(手塚るみ子氏、手塚眞氏)が取締役をしています。

虫プロが倒産した後は「もうアニメはやらない」と言っていた手塚先生ですが、1978年の第1回24時間テレビ「愛は地球を救う」で放送された「バンダーブック」翌1979年の24時間テレビ用にも「マリン・エクスプレス」を製作し、手塚プロダクションでも独自に手塚作品のアニメ製作をするようになります。そして1980年には手塚プロダクションの初めての連続テレビアニメとして「鉄腕アトム」のリブートが製作されることとなりました。そして、この「鉄腕アトム」の監督に抜擢されたのが前述したアートランドの石黒昇氏でした。

「鉄腕アトム」と「マクロス」

リブートされた「鉄腕アトム」は1980年10月から1981年12月まで放送されたのですが、ところで「超時空要塞マクロス」の放送日を覚えていますか?冒頭に「マクロス放送40周年記念 超時空要塞マクロス展」とご紹介したように、今から40年前の1982年に放送開始されました。

もう、お気づきだと思いますが、石黒昇氏は1981年12月まで「鉄腕アトム」の監督をした直後の仕事として、翌年1982年からは「超時空要塞マクロス」の監督をしているのです。

手塚プロダクションと宮武一貴氏(スタジオぬえ)

手塚プロダクションとマクロスの関係には石黒昇氏が大きく関わっているように思われて来ました。そのことを裏付ける貴重なインタビューが今年の2月にYouTubeで配信されました。

今回の「マクロス放送40周年記念 超時空要塞マクロス展」の関連イベントとして開催される「宮武一貴 x 天神英貴 SDF-1マクロス艦を語る」に伴って出席する宮武一貴氏の貴重なインタビューが手塚プロダクション公式チャンネルで配信されたのです。

インタビューの中では宮武氏がリブート版「鉄腕アトム」におけるアトムのライバルキャラクターのアトラスのデザインを監督の石黒氏から依頼されたことや石黒氏が絵コンテを担当した「鉄腕アトム」第30話「ウランちゃんとウランちゃん」のミュージカルシーンの絵コンテの切り方に感嘆した河森正治氏の話、そして、「ウランちゃんとウランちゃん」がマクロス劇中での名場面となっている様々な歌のシーンへ影響している話などが語られています。

是非とも、前編後編に渡る「宮武一貴と手塚治虫の知られざる関係」をご自分でもご視聴することをお薦めします。

まとめ

手塚プロダクション公式チャンネルにて「宮武一貴と手塚治虫の知られざる関係」(2022年7月配信)で、マクロスの原作である「スタジオぬえ」の中心人物、宮武一貴氏が証言するには「鉄腕アトム」監督である石黒昇氏のエッセンスが「マクロス」にもミュージカルシーンを中心に受け継がれ、手塚プロダクションの系譜が後進のアニメ作品に引き継がれていると語っています。

石黒氏のアニメーターとしての爆発などのエフェクトシーンはマクロスでは板野サーカスという形で受け継がれ、アニメにおけるミュージカルシーンの演出は河森正治氏に受け継がれました。一見すると全く関係の無いような手塚プロダクションとマクロスの関係ですが、実はマクロスは多大に手塚プロダクションと深イイ関係にあったのです。

Special thanks

YouTubeを覗いていると、こちらのマクロス展の現地レポートをなさっている方がいらっしゃいました。マルカWorksさんありがとうございます!

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