テレビ放送打ち切りになるも打ち切り後の39日後の再放送が決定し(詳しくは前回の記事へ)、ガンダムブームの大きな波が発生しようとしていました。
その大きな要因のひとつが「クローバー」とは別の玩具メーカー「バンダイ」のスポンサー決定でした。当初、新たなスポンサー候補として「クローバー」とマーケットの重複を避けるために「クローバー」の取り扱っていないプラモデルを販売することがまづは決定しました。
ガンダムのプラモデルを販売するメーカーとして、最初はプラモデルメーカーとして有名な「アオシマ」に声をかけるも断られてしまったため、当時「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルを取り扱っていた「バンダイ」が最終的にガンダムのプラモデルを取り扱うことになったのでした。バンダイにとっては、まさに『その時歴史が動いた』一瞬ではないでしょうか。
再放送の視聴率は高視聴率を記録し、アニメック以外でのアニメ雑誌でも特集されるようになると、他メディアでも取り扱われるようになり、いよいよガンダム映画化へ向けた動きが本格化しました。
配給会社として松竹が決定するも、今までアニメを取り扱ったことの無い松竹は「ガンダム」の映画化に求めるものは大ヒットした劇場版「宇宙戦艦ヤマト」と同等の大ヒットでした。富野監督は劇場版ガンダムを三部作として制作することを念頭におきながらも、まずは第一作目の大ヒットが大命題でした。
そして、ついに1980年10月9日、東劇ビルの最上階「レストラン・エスカルゴ」にて劇場版「機動戦士ガンダム」製作発表記者会見が開かれます。
当時のガンダムのファンの間で必読の書となっていた「機動戦士ガンダム記録全集」は製作会社である日本サンライズ(現サンライズ)発刊している書籍の為、アニメージュ等のアニメ雑誌には掲載されていない資料やカラーでの各話ストーリー説明があり大ヒットしました(当時はまだビデオが普及していなかったので、初見のテレビ放送だけで作品を楽しむことしか出来ませんでした。記憶の中の映像しか無かったファン達は記録全集に掲載された多くのカラー写真に非常に喜んだことでした)
そして、年が明けて1981年1月に再放送を見てガンダムファンになった層を中心として「ガンプラブーム」が起こり始めます。
そして、劇場版「機動戦士ガンダム」の3月公開に向けて、特典付きの前売り券が1月に発売されるようになると、わずか1週間で10万枚の売り上げを記録するのでした。そして、配給会社の松竹は早くも劇場版ガンダムII、Ⅲの製作を決定するのでした。
また、作中では板野サーカスで有名な板野一郎氏の若かりし頃のガンダム製作参加時のエピソードが導入されています。ここでは板野氏がメディアで何度か話していた機動戦士ガンダム第28話「大西洋、血に染めて」に関する富野監督、安彦良和氏の有名なお話が掲載されています。
そして、1981年2月を迎えるのでした(大和田秀樹先生の「『ガンダム』を創った男たち」感想『1stガンダム』ライブ視聴世代の思い出③へつづく)
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