1月3日から東京銀座松屋で開催されている「アニメージュとジブリ展」東京会場の最終日を1月23日に迎えようとしています。
東京会場の後は4月から名古屋会場(2023年4月22日(土)~6月11日(日))、8月から鹿児島会場(2023年8月10日(木)~10月1日(日))での巡回が予定されています。
コロナの影響で前回の東京会場での開催はわずか10日間であったこともあり、今回の東京会場での再開催には多くのファンが待ち望んでいました。前売り券の販売初日には開催初日1月3日午前の入場チケットが早々に売り切れとなっていました。
お正月も落ち着いた頃、自分もこちらの東京会場に行って来ましたので、少々ネタバレありでレポートしたいと思います。
会場は東京銀座松屋8階の展示場で開催されていました。エレベーターで8階まで昇ると右側に当日券売り場、そして、左側が入場入口となっています。自分は前売り券を購入していたので入口にてアソビューで購入していたチケットのQRコードを提示し、検温後に入場です。
右側の壁一面にはアニメージュ創刊号からの表紙が発行順に印刷されており、また左側の壁には鈴木敏夫氏のサインが12月28日付けで大きく書かれていました。実はたまたま12月28日に松屋銀座に来て8階のテラスで休憩していた自分はプレオープンしていることに気づき、会場の雰囲気を見ようと会場入口付近に行くと、関係者・招待者の方々と間違われ、来場者の名簿確認をされそうになってしまいました。
そして、入口直ぐにネコバスのオブジェがあり、ネコバス乗車の写真を係の人が笑顔いっぱいで上手に撮影をしてくれます。自分も年甲斐もなく、ディズニーランドに来てミッキーマウスと一緒に写真を撮ってもらう若者のように、ネコバス乗車の写真を撮ってもらいました。
ネコバス乗車後は早速アニメージュについての展示の開始です。アニメージュ以前のテレビランドの現物展示、ロマンアルバム「宇宙戦艦ヤマト」の現物と掲載内容の展示がされていました。(アニメージュ創刊当時については当ブログでの記事がありますのでこちらもどうぞ)
アニメージュ、ロマンアルバムの現物の展示を見ると自分の所有している発行物も多く、また、「宇宙戦艦ヤマト」公開時の劇場の周りに大行列が出来ている当時のニュースの写真を見て、当時の劇場観賞はほとんどが自由席で入替制で無ければ、ずっと何回でも見ていられたな〜等と懐かしい気持ちでいっぱいになりましたが、来場している同世代の人達も皆同じ気持ちになったのではないでしょうか。
「アニメージュとジブリ展」の公式サイトにも
『本展は、雑誌「アニメージュ」(徳間書店)の1978年創刊当時から80年代に焦点を当てた展覧会です。今から40年以上前、アニメが⼤きく⾶躍した時期がありました。若いアニメファンが熱狂した「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦⼠ガンダム」らの作品。その作り⼿たちの⽣の⾔葉を伝えた雑誌、それが「アニメージュ」です。雑誌がつないだ作り⼿と⾒る⼈のキャッチボールが、今につながる⽇本のアニメーションの隆盛をもたらしました。』
とあるように、自分のようなオールドファンには当時のことに思いを馳せ、若いファンには今のクールジャパンとしての地位を確立したアニメの最初のムーブメントが理解出来る素晴らしい展示会だと思います。
アニメージュが当時扱ったガンダム特集や富野喜幸(現・由悠季)氏、安彦良和氏の黄金コンビについて、メカデザイン大河原邦男氏と初期の頃のガンプラの展示がされ、そして、ナウシカの美術監督も担当した中村光毅氏の美術背景も多く展示されていました。
アニメージュ編集部の様子や初代アニメージュ編集長尾形英夫氏についての資料展示ではアニメージュ編集部員・副編集長であった若かりし頃の鈴木敏夫氏にとって尾形元編集長はプロデューサーとしての素晴らしいお手本であったことがわかります。
そして、当時、尾形編集長の「アニメを制作する!」という大号令で始まったアニメ雑誌「アニメージュ」によるアニメ制作について展覧会公式サイトでは以下のように書かれています。
『かつて雑誌作りとアニメーション映画制作が⾮常に近い時代がありました。本展では、雑誌「アニメージュ」が多くのアニメ作品の誕⽣と発展に果たした役割を豊富な誌⾯展⽰と貴重な制作資料とで振り返ります。そのことで、「アニメージュ」を作った⼈たちが、同じ精神でスタジオジブリを⽴ち上げ、現在まで作品を送り届けているということを⽰します』
SFアニメやロボットアニメが人気の当時、宮崎駿氏に注目していたアニメージュは風の谷のナウシカを誌上に連載(連載前に宮崎氏の「ペン入れをする余裕は無い、鉛筆による原稿ならば連載を引き受ける」という難題に応対するアニメージュ編集部のエピソードも展示されています) することによって、ナウシカのアニメ化はスタートしました。
ナウシカのアニメ化にあたって、今までのアニメ制作現場へ取材していた立場から取材される立場になった鈴木敏夫氏は、かつて制作現場を取材していた時に受けた仕打ちや嫌な気持ちになった応対は絶対にしないという戒めを書き記し、また、他アニメ雑誌に対する素材提供のルールについても資料が展示されており、鈴木敏夫氏の当時の思いを知ることが出来ます。
ナウシカ後、アニメージュ編集とアニメ制作現場の二足のワラジの限界を感じた鈴木敏夫氏はジブリの設立に関与することになりますが、ジブリ設立に大きく関わった両名とも最近お亡くなりになった高畑勲氏や大塚康夫氏の資料の展示がされ、ジブリ作品についての展示となります。
ジブリとしての初作品「天空の城ラピュタ」についての展示の後にはアニメージュが当時一押しであった押井守氏や押井氏のOVA作品「天使のたまご」の資料が展示されていました。
出口近くになって来ると、壁には昨年の展示と今回の2回目の東京会場の「アニメージュとジブリ展」の間にお亡くなりになられた今回展示会に関与する尽力者の方々(特定のお名前は敢えて書かれていません)への追悼の文も書かれていました。
ナウシカやラピュタのジオラマの後、グッズ売り場への順路となりますが、「一度グッズ売り場に入場するともう戻ることは出来ません」と係の人からご注意の声かけをされます。
グッズ売り場では今回の展示会限定のグッズが多々販売されており、お土産や記念に購入する商品選びについつい熱中してしまいます。個人的には復刻版のロマンアルバムの値段2500円を確認してびっくりしたことと、この展示会を機会にジブリ作品以外のロマンアルバムやアニメージュ関係の商品をもっと多く販売して欲しかったと思いました。(アニメージュ表紙のポストカードや当時の付録関係の付いたファイルもジブリ関係のものが多かったですしね)
以上、簡単な来場レポートでしたが、この「アニメージュとジブリ展」は慌ただしく展示資料を見ても一時間以上は必要だと思いますので、これから名古屋会場や鹿児島会場に行かれる方は時間に余裕を持って行かれることを大変おすすめいたします。
「アニメージュとジブリ展公式チャンネル」による監修・高橋望氏からのメッセージ(パート7まであります)
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