本年、2月13日にお亡くなりになられた松本零士先生の「松本零士先生 お別れの会」が6月3日(土曜日)14時より有楽町の東京国際フォーラム・ホールB7で開催されました。
生前、親交のあった声優さん達や漫画家仲間、関係者の方々の約3000人が参列し、実行委員長のちばてつや氏、声優の野沢雅子氏と池田昌子氏、宇宙飛行士の山崎直子氏がお別れの言葉を送り、ささきいさお氏が78年テレビアニメ主題歌「銀河鉄道999」、タケカワユキヒデ氏が79年映画主題歌「銀河鉄道999(THE GALAXY EXPRESS 999)」を献歌。X JAPANのYOSHIKIさん、ミュージシャンのダフト・パンクからは弔電も届きました。
この記事では親交が深かったちばてつや先生や野沢雅子さん、山崎直子さんのお別れの言葉などをまとめたいと思います。
ちばてつや先生のお別れの言葉
『松本零士さん、私があなたと初めて会ったのは、今からもう65年前、二人ともまだ高校を卒業した次の年。あなたは、北九州の小倉から夜汽車にのって上京したばかりで夜行列車の煙のススでしょうか、ちょっとホッペタが黒く汚れていて、でもまだ学生服の詰襟が似合う、紅顔の美少年でした。その頃私もマンガ家としてデビューしたばっかりで、食うや食わず。お互いにまだ売れない新人漫画家同士でね。
文京区本郷三丁目に東京大学があります。あなたはその赤門のすぐ近くの西陽が差す、家賃の安い四畳半の「山越館」という下宿屋に居を構えて出版社に持ち込むための原稿を描きながら、いつも、いつも、お腹を空かせていましたね。でもあなたの、青雲の志は人一倍高く、いつかそのうちに大きな連載を勝ち取って、原稿料もらったら超一流の三つ星レストランでザブトンのようなステーキを食ってやる。その時にはちばちゃんにも食わせてやるぞ・・・と二人で夢を語りつつ・・・ちょっと色っぽいヌード写真や、18禁の色っぽい本をこっそり見せ合いながら、可愛い女の子や、美しい女性を描く練習に励む毎日でした。
やがて二人ともまあ紆余曲折、短編を描いたり、イラストを描いたり、忙しい先輩漫画家のお手伝いをしたりして、苦労しながらも修行の成果が少しずつ上がって、なんとか一人前の漫画家として生活ができるようになっていきますけども…そうそう、松本さんはね親しくしていたのに私には全く内緒で、いつのまにか、同じ本郷に住んでいた牧美也子さんという美しい女性漫画家の伴侶を得て、どっしりと家庭を構えてからは順風満帆、その後『セクサロイド』や『男おいどん』などに続き、『キャプテンハーロック』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』手がける作品が次々と大ヒット。マンガ界も大きく飛躍し、週刊誌の時代に入って、二人とも寝る時間のないほど締め切りに追われる生活が続いていましたけども1979年(昭和54年)、我々がちょうど四十歳になる頃でしたけど、戦闘機とか戦艦とか、宇宙船だとかコックピットだとか・・・そういうメカニックが大好きな松本さんがある日突然電話をかけてきて「超音速旅客機のコンコルドに乗りたいぞ。」と言い出して、コンコルドに乗って宇宙に近い成層圏を飛んで世界一周するからちばちゃんも一緒に行こう・・・と誘われました。
私は、どちらかというと成層圏もコンコルドも、メカニックも、全く興味がない人間だったし、それより何より、仕事も人一倍遅いものでしたから、週刊誌の締め切りで七転八倒していたので絶対無理だとお断りしたのですけれども…もうツアーも組んで、旅券からホテルから全て予約したから、と。もういろいろと寝耳に水で、松本さんの強引さに呆れて、あんなに慌てたことはありませんでしたよ。でも、詳しく話を聞くと、私も松本さんもちょっと親しくしていた女流漫画家さんの萩尾望都さんや『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の声を担当した麻上洋子さん(現・一龍斎春水さん)も同行するけどどうする?って聞かれて、悩みましたけど…まあやむなく連載を休むことにして「仕方がなく」ですけども同行することになってしまいました。
その後も一緒に草野球をやったり、運動会をやったり、ゴルフをやったり、お互いに仕事が遅くて時間がない中、ずいぶん無理をして仕事もして、遊びもしたものです。 80歳を過ぎてからもあなたはいつも元気で、「ちばちゃん、そのうちに宇宙船に乗りたいな。宇宙船に乗って、無重力のなかで座布団みたいなビフテキを食ってみたい」と元気いっぱいでしたけど。2年程前、イタリアのトリノで松本さんがファンに会うイベントの旅先でちょっと体調を崩された、というニュースを聞いた時は、本当に肝を潰しました。
帰国後はしっかり養生してずいぶんお元気になったと聞いていましたけども、このコロナの時代になってしまい、なかなか会うことも難しい中、今年の2月13日、奥様の牧美也子さんと、お嬢さまの摩紀子さんに見守られて、あなたのいつも夢に見る、大好きな大好きな銀河の世界に旅立っていきました。いまさら私がいうまでもなく、あなたが漫画やアニメーションに遺してくれた業績は本当に偉大で、旭日小綬章、紫綬褒章だとか、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受賞だとか、挙げたらキリがありませんね。
大昔…北九州の小倉から夜汽車に乗って上京した詰襟の少年が、85年間の人生で素晴らしい大きな足跡を残したことに・・・・・今はみんなが感謝しそのことを心から賞賛し、お別れを惜しむために・・・こんな天気の悪い中、こんなにも大勢のファンや、仲間や、関係者が集まってくれましたよ。
松本さん、今あなたとお別れするのはとっても辛いですが…もう、誰がどうみてもこれ以上ない、充実した人生、世界中の人から拍手喝采をされる、大往生でした。長い間お疲れ様。私もね、もう少しだけ頑張ったら、松本さんの居る銀河系を追いかけて行きますから。そしたら今度こそ、ザブトンのようなビフテキを一緒に食べようね。じゃあいってらっしゃい。』
↑ちばてつや先生との対談、そして松本零士先生の遺作となる「銀河鉄道999」の最新作も収録されています。
野沢雅子さん(『銀河鉄道999 星野鉄郎役』)のお別れの言葉
『松本先生、先生が旅に出られてから3ヶ月が過ぎました。私の中では、いつもの先生の笑顔が、すぐに浮かんで来ますので、まだピンと来ていません。
先生と初めてお会いしたのは45年程前、『銀河鉄道999』で、星野鉄郎をやらせていただいた時でした。親しみやすい笑顔で気さくに話しかけて下さったので、すぐに打ち解けることができ、安心したことを今でも、よく覚えています。
先生との思い出はかぞえきれない程、たくさんありますが、やはり『銀河鉄道999』の全国横断のイベントでしょうか。 日本中をご一緒に回りましたね。イベント先ではいつも夜遅くまで楽しそうにスタッフの皆さんと飲んでいらっしゃって、お話しが大好きな先生の周りには、常にたくさんの人と笑顔があったことを昨日のことのように思い出します。
2年少し前には、久しぶりに取材でご一緒して、また、お会いしましょうねとお話していたのに、もう旅に出かけてしまうだなんて、ちょっと早いのではありませんか?
寂しい気持ちは消えませんが、きっと先生は999号で車掌さんに会って、旅先でも好きな漫画を描いては楽しく過ごしていらっしゃるのではないかと思います。宇宙から、こちらの世界を見守っていてくださいね。
先生と鉄郎に会えて私、本当に良かった。本当にありがとうございました。
2023年6月3日野沢雅子』
そして、野沢さんと池田さんが、鉄郎とメーテル、それぞれの声を演じながら松本さんへお別れの言葉を送りました。
ーーねえ、メーテル。松本先生は旅に出ちゃったんだよね。話したいことがたくさんあったのに黙って行っちゃうなんて水くさいな〜。
ーーそうね、今回の旅はちょっと長くなるんじゃないかしら。でも、遠く時の輪の接するところで、また巡り会える。私はそう思うわ。
ーーうん、そうだね。僕たちも旅を続けていければ、星の海のどっかでまた会えるんだ。それまでちょっぴり寂しいけど…松本先生! お元気で! またね!
――松本先生。私も鉄郎と同じで、寂しい気持ちもあります。でも、私たちのそんな気持ちはそっちのけで、好奇心の強い先生はきっと、時の流れの旅を楽しんでらっしゃるんでしょうね。いつか、どこかで、また。
山崎直子さん(宇宙飛行士)のお別れの言葉
『松本零士先生、先生は今、星の海を旅されていらっしゃるのですね。遠くに旅立たれてしまった寂しさが募りますが、でも、空を見上げればそこにいらっしゃるような叱咤激励して下さっているような気も致します。
先生の作品と出会っていなければ、今の私はいませんでした。物心がつき始めた頃に「宇宙戦艦ヤマト」に出会ったことは強烈な思い出で、一緒に観ていた兄と共に、広大な宇宙の舞台にワクワク、ハラハラしていました。「銀河鉄道999」では、様々な星を巡る旅を通じて、命の大切さを考えさせられました。鉄郎と一緒に、私も成長させていただいたような気がします。学校の帰り道、ランドセルを背負いながら、よくテーマ曲を口ずさんでいたものです。そして、ヤマトや999の機関室の緻密なメカの描写への憧れは、後に宇宙工学を学び、そのようなかっこいい宇宙船を造りたい、いつしか宇宙船に搭乗したい、という目標になっていきました。
ですから、宇宙飛行士に認定されて間も無くの頃、先生の紫綬褒章祝賀会で直接お会い出来た時は、天にも昇るような気持ちで、時の輪が接したかのようで感無量でした。
先生から影響を受けた人は、私ばかりではありません。今日も、毛利衛宇宙飛行士や野口聡一宇宙飛行士、そして、先生が長年理事長をつとめて下さった日本宇宙少年団の関係者、宇宙に関わる方々がたくさん来ておられますよ。日本だけでなく、世界中でどれだけの人が先生から影響を受けたか計り知れません。そんな中、未熟者の私が弔辞を述べさせて頂くことはとても恐縮ですが、感謝の気持ちをお伝えさせて下さい。
先生の生き様から、本当にたくさんのことを学びました。先生の作品は、時空を超えて、様々な人、想いが繋がっていきますが、それは先生ご自身が常に、自然や宇宙に畏敬の念を抱いていて、ご家族や周囲を感謝し、人と人の繋がりを大切にされてこられたからだと感じています。
先生はよく、「未来は今の子どもたちの心の中に既にある」と仰って、世界中の子ども達を励まし、信じ、愛情を注いで下さいましたね。私が宇宙に行く前年の2009年に、私の生まれ故郷で日本宇宙少年団の分団が結成された際には、公民館の一室でのアットホームな結成式に先生が自ら駆けつけて下さったことに、感動しました。一人一人の子ども達に向けられた先生の温かい眼差しを忘れません。私にも、「しっかり地球を見てきてくださいね」と仰って下さいました。
国際宇宙ステーションの中で、先生の作品の曲を聴きながら、青く輝く地球と向き合った時、先生の想いに少し近づけたような気がしました。宇宙から帰還後、ご報告に伺いたいとお伝えしたら、零時社さんに温かく迎えて下さり有難うございました。奥様、お嬢様へ向ける先生の優しくはにかんだような笑顔にも接し、私の父も九州男児でしたので、親近感を覚えました。
その後も、イベントで対談をさせて頂いたり、日本宇宙少年団の理事長を先生から畏れ多くも引き継がせて頂いたり、先生とのご縁に恵まれたことは幸せなことでした。先生とお会いすると、いつも少年のような瑞々しさで、片道切符でいいから火星に行きたいと仰っていましたね。この目で見た地球を描きたいとも。
もっと作品に想いを残して頂きたかったのに、もっと導いて頂きたかったのに、旅立たれてしまったことが、哀しくてなりません。でも、先生は今、火星よりもずっと遠くの星々を旅していらっしゃるのですよね。好奇心旺盛な先生のことですから、宇宙の彼方から、どう次の作品に繋げるか構想を考えられているような気がしてなりません。いつか、遠く時の輪の接するところで、またお会いできることを励みに、先生の夢を、更に次の世代に繋いでいけるよう、精進していきたいと思います。
松本零士先生、素敵な作品を、たくさんの励ましを、人生の道標を、本当にありがとうございました。星の海から、私たちを、未来をどうぞお見守りください。』
▽YOSHIKIさん弔電
松本さんは私たちにとって、多くの人々に夢と希望を届けた偉大なるアーティストであり、私自身にとっても特別な存在でした。
私は2014年に松本さんと直接お会いし、お話をする機会を頂きました。その時、直接私のためにイラストを描いて下さいました。そのイラストは今も私の大切な宝物です。
松本さんは、数々の素晴らしい作品を通じて私たちに無限の可能性を示してくれました。彼の美しいイラスト、壮大なマンガの世界感は、私たちの想像力をかき立て、新たな世界へと導いてくれました。彼の作品は私たちに勇気と希望を与え続け、私たちの心の中で生き続けることでしょう。
松本零士さん、本当にありがとうございました。私があなたとお会いできたことは、私の人生においてかけがえのない瞬間です。あなたの作品と出会えたこと、そして交流させていただいたことに深い感謝の意を示します。ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
YOSHIKI
▽ダフト・パンク弔電(翻訳)
私たちが子供の頃、伝説でありアイコンだった松本零士先生。その先生と直接お会いし、“ダフト・パンクと松本零士”として「インターステラ5555」の仕事でご一緒できたことは、私たちの夢の実現でした。先生との素晴らしい創作の旅路は、沢山の大切な想い出と喜びに満ち溢れていました。美しい作品の数々をこの世界に届けて下さった松本先生だからこそ、その魂が安らかな場所にいらっしゃることを信じてやみません。
トーマ・バンガルテル&ギ=マニュエル・ドゥ・オメン=クリスト
また、妻で漫画家の牧美也子さん、長女松本摩紀子さんから主催者代表のあいさつが以下のようにされました。
牧美也子さん
『松本は本当に自分の好きな仕事を続けまして、みなさんの心の中に何かを残してきましたことを、同じ仕事をしている漫画家としての私も非常に共感、うれしく思っております。今後とも、松本の仕事が、みなさまの心の中で生き続けてくれることを願っております。本当に今日はありがとうございました』
松本摩紀子さん
『これより松本は長い旅に出ます。『遠く時の輪の接する処で再び巡りあえる』と松本はよく申しておりましたが、それがいつになるのか全く見当もつきません。永遠と言えるほど遠い未来なのかもしれませんし、私達の考えるそれとは違う違った方法で訪れるのかもしれません。ですが、ひとつ確かなのは、その時まで、松本が遺したキャラクター達や物語を大切に預かり、見守り、育てていくことが、私達の責務であり、それが松本との約束だと思っております』
【主な参列者の方々】
一龍斎春水、池田昌子、宇田鋼之介、浦沢直樹、凰稀かなめ、加藤登紀子、里中満智子、ささきいさお、島本和彦、タケカワユキヒデ、ちばてつや、豊田有恒、永井豪、中川晃教、野沢雅子、萩尾望都、潘恵子、潘めぐみ、武論尊、弘兼憲史、的川泰宣、毛利衛、安彦良和、山崎直子、りんたろう =順不同、敬称略=
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