前売り券が記録的ヒットをしていた(前回記事参照)劇場版「機動戦士ガンダム」の公開が迫る1981年2月22日、東京の新宿にて「アニメ新世紀宣言大会」というイベントが開催されます。
大ヒットした劇場版「宇宙戦艦ヤマト」の成功事例を踏襲し、全国各地にあるガンダムのファンクラブに所属する熱狂的なガンダムファンを巻き込んだ劇場版「機動戦士ガンダム」の宣伝活動は当時のアニメイベントでは信じられない2万人以上という動員を果たし大成功をおさめました。
ガンダムのキャラクターやモビルスーツのコスプレ(当時はコスプレという言葉はありませんでした)をした全国から集結した多くのガンダムファン(ちなみに当時、彼らのことを原宿で流行していたタケノコ族に因んでトミノコ族と言うアニメファンもいました)は当日のイベントコンテストに参加したり、イベントスタッフとしても大活躍しました。
コミック劇中では記述されていませんが、シャアとララァのコスプレをしてファンを代表し、アニメ新世紀宣言をしたお二人はまだ学生だった永野護氏と川村万梨阿さんでした。
永野護氏は大学中退後、日本サンライズに入社し、新人ながら「重戦機エルガイム」でキャラクターデザイン・メカデザインを担当します。その後、月刊「ニュータイプ」で漫画「ファイブスター物語」の連載を開始しました。また、川村万梨阿さんは「聖戦士ダンバイン」のチャム・ファウ役で声優デビュー、「機動戦士Zガンダム」ではベルトーチカ役を担当するなど富野監督の多くの作品に関わることになります。
そして、お二人は長年の交際を経て1991年に挙式し、お二人共に作品に多く関わった富野監督のご夫妻が仲人を、ガンダムの登場人物であるギレン・ザビ役の声優・銀河万丈氏が披露宴の司会を務めました。
「『ガンダム』を創った男たち」ではは富野監督、安彦良和氏など制作スタッフの他にもう一人、劇中で何度も登場している最重要人物が紹介されています。当時のアニメ雑誌「アニメック」の元編集長、小牧雅信氏です。
「バンダイ」がガンダムブームの育ての親、そして、「アニメック」はガンダムブームの産みの親と言われていますが、テレビ放送当時、低視聴率でありながらもガンダムを絶賛する一部マニア達がこぞって入手していたのが「アニメック」だったのです。
インターネット等の無い時代、ガンダムの詳しい情報・資料等を求めていた多くのガンダムファンにとって、テレビ放送当初からいち早くガンダムに注目し、独自に日本サンライズから資料を入手したり、富野監督の独占インタビューを掲載していた「アニメック」はバイブルのようなものだったと言えるでしょう。
余談ですが、当時のアニメック編集部のバイトだった井上伸一郎氏は2代目アニメック副編集長を経験した後、角川書店へ移動し「月刊ニュータイプ」創刊に携わり、その後「月刊ニュータイプ」編集長としての成功もあり、角川書店の役員に就任しました。
小牧雅信氏著の「Animecの頃…」には、多くのマニア的アニメファンがヤマトやガンダムといった作品に熱狂していた時代について詳しく書かれています。Amazonではプレミア価格になってしまっていますが、是非とも当時を知らない若いアニメファンの方々には一読して欲しい一冊です。(「Animecの頃…」スペシャル対談のサイトはこちら)
残念ながら、小牧氏は本年2022年1月にお亡くなりになってしまいました。ガンダムテレビ放送当時等に「アニメック編集部」の小牧氏の元に集った、単なるアニメファンだった多くの学生達が卒業後、クリエイターやプロデューサーとしてアニメ業界で大活躍をし、今では多くの後輩達に影響を与える立場になっていることを考えると小牧氏のアニメ界に貢献した功績は多大なものと思われます。
最後に小牧氏の功績を讃え、ご冥福をお祈りして「『ガンダム』を創った男たち」に掲載された小牧氏の寄稿を紹介したいと思います。
※貼り付けたYoutubeや朝日新聞2009年10月17日のネット配信の記事によるとイベント参加人数は1万5千人とあるのでコミックではちょっと盛ってるようですね。
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