「さいとう・たかを」先生の「サバイバル」を懐かしむ

サバイバルコミック表紙 コミック

追悼 さいとう・たかを先生

9月29日、帝国ホテルにて昨年お亡くなりになった、『さいとう・たかを先生のお別れの会』が開かれました。会場では弔辞を古くからのご友人であり、同業者でもある、ちばてつや先生、里中満智子先生、秋本治先生がお読みになりました(各先生方々の弔辞の全文はこちらで読むことが出来ます) 。

謹んでお悔やみ申し上げます。

さいとうたかを先生の「ゴルゴ13」以外の名作は

画業が長年に渡る「さいとう・たかを」先生の漫画界への偉業につきましては語るまでもありませんが、やはり、特筆すべきは漫画制作の分業制を確立した「さいとうプロダクション」を設立したことでしょう。

「さいとうプロダクション」は昭和43年(1968年)から現在も連載の続く「ゴルゴ13」、そして、こちらも長期連載中の「鬼平犯科帳」など多くの人気作品を残しています。今回は「さいとうプロダクション」の昭和の名作のひとつ「サバイバル」について懐古したいと思います。

「サバイバル」の連載は

「サバイバル」は昭和51(1976)年から昭和53年(1978)年まで週刊少年サンデー(小学館)で連載されました。

当時の少年サンデーでは楳図かずお先生の「まことちゃん」、雁屋哲先生原作・池上遼一先生作画の「男組」、そして、やはり最近お亡くなりになられた故藤子不二雄A先生の「プロゴルファー猿」、故古谷三敏先生の「ダメおやじ」等、多くの名作が連載されていました。

昭和51年少年サンデー表紙画像
「がんばれ元気」が表紙の昭和51年の「少年サンデー」

「サバイバル」連載開始の三年前、昭和48(1973)年に小松左京先生の小説「日本沈没」と五島勉氏の著書「ノストラダムスの大予言」の両作品の発表がされていますので、当時は日本経済の急激な成長に伴った日本各地での公害問題もあり、日本の将来を不安視するあまり、大地震などの壊滅的な天変地異が起こることをテーマにした書籍が多かったのでしょう。

「日本沈没」ポスター画像
1973年版「日本沈没」劇場ポスター。

ちなみに大ヒットした小松左京先生の「日本沈没」の漫画版を「さいとうプロダクション」が執筆していますので、明らかに「日本沈没」は「サバイバル」への執筆に大きな影響を与えていると思われます。

「サバイバル」の序章は

中学生の鈴木サトルは友人達と一緒に洞窟を探検していると、突然の大地震に襲われます。大地震の揺れが収まった後、サトルだけは何とか洞窟から抜け出して助かりましたが、外に出たサトルの眼前に広がる光景は大地震によって荒れ果てた信じられない光景でした。

第1話画像
第1話の最初のページ。もう既に大地震が発生しています。

サトルがいた陸続きだったはずの土地はほとんどが大地震によって水没してしまい、周囲はすべて海に囲まれ島になっていました。

誰も居ないその島に残されてしまったサトルは、生き延びるためにさまざまな知識や技術を利用・獲得していくことになります。

そんなある日、サトルのいる島へ向かいの島から若い女性アキコがやって来ます。彼女は地震後にサトルが初めて会う生存者でした。サバイバル生活に疎く、狩猟した動物を「可哀想」と言い、食糧として食べられないアキコはサトルを悩ませるものの、サトルはアキコに心惹かれていくのでした。

サバイバルワンシーン画像
彼女はサバイバル生活に疲弊し段々と精神を病んでしまいます

そんなサトルとアキコの共同生活もアキコが崖から転落してから更に困難を極め、サトルは必死にアキコを介抱し、一瞬、快方へ向かい、サトルと一夜結ばれるものの、全快することなく亡くなってしまいます。その後、サトルはアキコとの別れの悲しみを抱くも海を越えて、島を出て行くのでした。

ここまでが「サバイバル」の序章となります。その後、サトルは様々な生存者達と出会うこととなり、トラブルに巻き込まれたり、助けられたり、協力したりしながら、家族を探す旅となります。

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元ネタなのかも

「サバイバル」は旅の途中で起こる様々な出来事が映画の物語となる『ロードムービー』のディズアスター版のジャンルの漫画です。

1995年頃に大ヒットした望月峯太郎先生の「ドラゴンヘッド」や最近では花沢健吾先生の大ヒット作「アイアムアヒーロー」は「サバイバル」にインスパイアされた作品ではないかとついつい思ってしまいます。(富士山もしっかり出て来ますからね)

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いつの日か「デイ・アフター・トゥモロー」のローランド・エメリッヒ監督が映画化するかもしれませんね。

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