(庵野版「宇宙戦艦ヤマト」は旧作「宇宙戦艦ヤマト」『あのまんま(庵野まんま)』なのではないかな?①からの続き)
2006年12月に出所をした西崎義展氏は収監中の7年半の間に変化したAV機器や人気アニメ作品をも含めた当時の社会状況を把握するとともに長年企画していた「宇宙戦艦ヤマト」の新作である「復活編」の製作へ向け動き始めます。
西崎氏の逮捕前から「宇宙戦艦ヤマト復活編」の企画に関係していた白土武氏は西崎氏からシナリオを基にしたイメージボードを50枚ほど描き上げ、2008年7月31日の「復活編」の正式発表・スタジオ開き前に絵コンテ、チーフディレクターとしての参加を要請されます。
2008年7月31日の製作発表から約1年半後の2009年12月12日「宇宙戦艦ヤマト復活編」が晴れて公開されます。(「復活編」についてはまた別の機会に記事にしたいと思います)
電通がプロジェクトに参加していた(その後、電通に代わって中沢敏明氏のセディックインターナショナルが引き継ぐ)「復活編」製作中に「宇宙戦艦ヤマト2199」の企画が具体的に動き出します。
毎日放送(MBS)製作、TBS系列で2007年4月から放送された「地球へ…」のアニメーション制作プロダクションのひとつであった「南町奉行所」が「宇宙戦艦ヤマト2199」の製作現場になる予定であったことから(「南町奉行所」は2009年事業停止したため実際に製作したのは「ジーベック」「AIC」) 、「地球へ…」に参加していた出渕裕氏(ちなみに「地球へ…」のキャラクターデザインは「宇宙戦艦ヤマト2199」のキャラクターデザインの結城信輝氏)に「宇宙戦艦ヤマト2199」の監督としての声がかかります。
先日の「宇宙戦艦ヤマト」放送50周年記念上映会のスペシャルトークイベントの際でも語られているように、庵野氏に声がかかって、庵野氏の代理として抜擢されたわけではないのです。
電通が西崎義展氏の作品介入の防波堤として作用すると思った出渕氏は「宇宙戦艦ヤマト2199」のプロットを西崎氏と同席していた山本暎一氏に見せると「三箇所ほど問題はあるけど、そこさえ直せばあとは任せた」と西崎氏からの言質をもらいます。
その時の話については最近の「宇宙戦艦ヤマト復活編」の副監督・メカニックデザインの小林誠氏のXでも投稿がされていました。
「宇宙戦艦ヤマト」放送50周年スペシャルトークイベント時に話されていたように当時50歳頃の出渕氏をはじめとしたヤマトファン一期生の間では「宇宙戦艦ヤマト」を老後の楽しみとして関わりたいと言っていたのが、図らずも老後前にその機会が庵野氏ではなく出渕氏に訪れたのです。
少々、横道に逸れますが2009年の春に刊行した「YAMATO reactivate2009年」というむらかみみちお先生の同人誌があります。むらかみみちお党から過去3冊出されていたヤマト本の総決算という形で全92ページにもなる同人誌です。
この中に『出渕裕×樋口真嗣「ヤマトを今、自分で作るならこうする」 』という対談が掲載されており、同人誌刊行時は「宇宙戦艦ヤマト2199」の製作がまだ発表される以前でしたので、あくまでも「自分ならこうする」という体で語っていますが、この時点で既に語れているようなプロットが作られて西崎氏に提示していたものと思われます。(以前、結城信輝氏のXでもこの対談についてのX投稿に対談前にプロットが決まっていたとリツイートがありました)
西崎氏の言質をとったものの、復活編製作中に防波堤である電通のプロデューサーが不祥事を起こしてしまい、電通が「ヤマト」のプロジェクトから手を引いてしまいます。電通への遠慮が無くなった西崎氏は復活編完成間近の頃、出来上がっていた「宇宙戦艦ヤマト2199」のシナリオ6話分に駄目出しをし、「俺が監督をやる」と言い出したのです。
更に「シナリオもデザインもお前の連れてきたスタッフは全部駄目だ」と言い出したので、出渕氏は既に出来上がっていたシナリオ、キャラクターを高く評価してくれていた毎日放送(MBS)のテレビシリーズ担当プロデューサーと一緒に西崎氏に直談判したのですが、西崎氏の気は全く変わらず、逆に「復活編」の素晴らしさを見れば「宇宙戦艦ヤマト2199」の監督は自分が最適であると毎日放送(MBS)から監督の依頼をされるであろうと、意気揚々と「復活編」の試写を出渕氏を外して毎日放送(MBS)のプロデューサーに見せるのでした。
しかし、「復活編」試写を見た毎日放送(MBS)プロデューサーは復活編を「長い」と一言で切り捨て「この話は無かったことに」ということになり、それからほぼ1年間「宇宙戦艦ヤマト2199」の企画、進行は宙に浮いてしまいます。
↓西崎義展氏の数々のエピソードはこちら
西崎氏が監督を出渕氏に任せて現場にタッチしなければ、毎日放送(MBS)は全面協力するという状況の中で「宇宙戦艦ヤマト2199」の監督の座を譲らない西崎氏は「宇宙戦艦ヤマト2199」の大きな障害でした。しかし、2010年11月に西崎氏が不慮の事故で亡くなったことにより状況が大きく変わって行くのでした。
一気に「宇宙戦艦ヤマト2199」が実現に動き出した中で、出渕氏はトークイベントでも語れたように庵野氏に声をかけます。しかし、その頃、2012年11月公開の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の製作に多忙な庵野氏はオープニングの絵コンテのみの参加となってしまい、2012年4月に「宇宙戦艦ヤマト2199」は劇場先行公開となるのでした。
「宇宙戦艦ヤマト2199」監督である出渕氏は西崎氏が「宇宙戦艦ヤマト」第一作以降に製作した「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト完結編」等の作品は「ヤマト」の作品としては迷走していると感じており、「ヤマトの迷走を見直し、俺たちの世代でケジメをつける」とリメイク版の製作を決意したそうです。
出渕氏の言う「俺たちの世代」とは出渕氏、庵野氏、氷川氏を筆頭とする「宇宙戦艦ヤマト」第一作が放送された50年前の1974年にお茶の間のTVで視聴し、今までのテレビまんがとは違う「アニメ」に心震え、「宇宙戦艦ヤマト」第一作を最もリスペクトする世代です。彼らの思いは「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」以降の「ヤマト」は「ヤマト」であり、「ヤマト」ではないのです。
このように庵野氏のアニメの沼にはまって経緯、過去の出来事、そして出渕氏らヤマトファン第一世代の間でのやりとり等を踏まえると、今回発表された庵野版の「宇宙戦艦ヤマト」は新しいストーリーやスピンオフのような作品ではなく、ガイナックス時代に西崎氏に熱く語ったような「宇宙戦艦ヤマト」第一作をそのままリメイクする作品なのではないかと思うのです。もしかしたら、声優陣も昔の声優陣が収録したセリフをそのまま使用をするくらい同じにするかもしれません。
まさに「あのまんま(庵野まんま)宇宙戦艦ヤマト」が見えるのではないかと思うのですが、みなさんはどのような推測をしていますか?もし、よかったらコメント欄にご意見お聞かせください。
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