先日、『宇宙戦艦ヤマト50周年企画公式』より「宇宙戦艦ヤマト」初回放送開始日である10月6日に特別上映会『50周年記念 アニバーサリーデー上映 Produced by 庵野秀明』が新宿ピカデリー(全国の映画館でもライブビューイングが出来る予定。上映館については近日発表)で開催されることが発表されました。
『50周年記念 アニバーサリーデー上映 Produced by 庵野秀明』では上映だけでなく、最初のTVシリーズ(のみ?)の熱烈なヤマトファンを公言する庵野秀明氏、出渕 裕氏、氷川竜介氏によるこの日限りのスペシャルトークイベントも行われる予定です。(庵野氏の怪我の回復具合は大丈夫なんでしょうか?)
同時に『宇宙戦艦ヤマト50周年企画公式』からは庵野秀明氏が総合デザインと「YAMATO」の手書き文字を担当し、そして出渕 裕氏がロケットアンカー風のエンブレムと「50」のデザインを担当した『宇宙戦艦ヤマト』50周年ロゴも発表されました。
ちなみに『宇宙戦艦ヤマト50周年企画公式』が庵野秀明氏企画・プロデュースによる出版企画、イベント上映、展覧会など様々な50周年企画をすることを発表したのは今年の3月30日でしたから、約半年程経ってついにイベント上映の開催が発表されたことになります。
庵野氏が今回の宇宙戦艦ヤマト50周年企画を著作権、商標権を持つ「ボイジャー社」「東北新社」に昨年(2023年)8月末に打診をして、両社から快諾を得たことが(株)カラーの公式Xである(株)カラー2号機で呟かれていますが、その(株)カラーの公式Xでは10月に庵野氏による50年前、当時中学二年生であった庵野氏の「宇宙戦艦ヤマト(74)」との出会いについての熱い想いも呟かれています。
この庵野氏の「宇宙戦艦ヤマト(74)」への熱い想いは過去にも幾多の媒体で発表されているのです、今から25年程前に発売された『宇宙戦艦ヤマト遙かなる星イスカンダルコミックアンソロジー』中のエッセイでも全く同じように中学時代の思い出が述べられています。
↓島本和彦先生やむらかわみちお先生ら熱烈ヤマトファン執筆陣によるコミックアンソロジー「宇宙戦艦ヤマト遙かなる星イスカンダル」
また、庵野氏の奥様である安野モヨコ氏の20年程前の著作「監督不行届」(2005年発刊)でも庵野氏を形成するもののひとつとして中学時代に出会った「宇宙戦艦ヤマト」が紹介されていることより、庵野氏の「宇宙戦艦ヤマト」ととの熱い出会いを確認出来るのでした。
↓安野モヨコ氏の「監督不行届」。NHKで放送されるドキュメントでの庵野氏とは違う真の(?)庵野氏の様子が伺えます
そして、直近では今年の夏のコミケC104でも大きな話題になったKIYO CLUB さんx むらかわみちお党さんによる宇宙戦艦ヤマトTV放映50周年記念画文集「1974YAMATO The Ship Who Searched 2199」でも、庵野氏の描く宇宙戦艦ヤマトが表紙イラストを飾るとともに表紙裏には『中2からのヤマト大ファン庵野秀明』からのメッセージが寄稿され、庵野氏の一途な熱い想いが見てとれます。
↓大人気で入手困難となり、プレミアム?同人誌の宇宙戦艦ヤマトTV放映50周年記念画文集「1974YAMATO The Ship Who Searched 2199」。各々が描くイラストが偶然にも第16話のビーメラ星成分が多いのが印象的です。
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